偉人・敗北からの教訓
ドキュメンタリー/教養
偉人・敗北からの教訓 第77回「喜多川歌麿・江戸幕府の怒りを買った浮世絵師」
蔦屋重三郎とのコンビでヒットを連発した浮世絵師・喜多川歌麿の敗北を紐解く。幕府の厳しい取り締まりを受け、手鎖50日に処されるも、絵師として戦い続けた理由とは?
1月25日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン
江戸時代、美人画で一世を風靡した浮世絵師・喜多川歌麿の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1753年頃、江戸に生まれたと言われる歌麿は狩野派の絵師・鳥山石燕に入門し、絵師として活動を始めるが、なかなか芽が出ず、苦悩していた。そんな中、版元として頭角を現した蔦屋重三郎に出会い、狂歌絵本を手掛けたことで道が開ける。そして、美人大首絵という新たな分野を開拓し、美人画の第一人者に躍り出た。
しかし、重三郎が東洲斎写楽という新たな才能を見出すと、二人の間に溝が生まれる。歌麿は重三郎亡き後、幕府の規制に抗い、孤軍奮闘を続けるが、やがて、自らの代名詞とも言える美人大首絵の発行が禁じられてしまう。さらに「太閤記」を題材にした錦絵が幕府の禁制に触れ、歌麿は厳しい取り調べの末、手鎖50日の罰を受けることに。歌麿はなぜ、幕府の厳しい取り締まりに抵抗し、最後まで戦い続けたのか?
厳罰を受けた二年後、歌麿はひっそりと、その生涯に幕を降ろす。しかし、その創作意欲は最晩年まで続き、自身の集大成とも言える大作を残していたことが近年の研究で明らかになった。三部作「雪月花」のうちの一つ「深川の雪」は歌麿が晩年に度々訪れた栃木で描かれたものだと考えられている。歌麿がその絵に込めた思いとは?そして、歌麿が自らの画業を通じ、後世に残したメッセージとは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
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