偉人・敗北からの教訓
ドキュメンタリー/教養
偉人・敗北からの教訓 第73回「武田信虎 息子・信玄に追放された名将」
息子・武田信玄と家臣らによって追放された武田信虎の敗北を紐解く。名門・武田家の再興を目指し、悲願の甲斐統一を達成した名将はなぜ、国を追われてしまったのか?
12月28日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン
戦国時代、甲斐統一を成し遂げた戦上手・武田信虎の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1498年、甲斐に生まれた信虎は10代の若さで家督を継ぐと、国内の反対勢力を味方につけ、一族の抗争に終止符を打つ。そして、甲府を新たな拠点とし、軍事力を強化し、群雄割拠の甲斐統一に成功する。しかし、度重なる戦いで国内は疲弊、さらに不作が続き、飢饉が起こると、領民たちの不満が高まっていった。
信虎は苦境を脱すべく、今川氏や諏訪氏など敵対勢力と同盟を結び、信濃に進出、新たな領地を獲得し、本格的に勢力拡大を目指す。ところが、1541年、予期せぬ事態に見舞われる。信虎が同盟相手の今川氏を訪ね、駿河を訪れた際、息子・信玄と家臣らによって、突如、国境を閉鎖され、帰国することが不可能となってしまったのだ。名門・武田家を復活させた信虎はなぜ、国を追われてしまったのか?
その後、京都に住まいを移した信虎は将軍家から厚遇を受ける。1573年、十五代将軍・足利義昭と織田信長の対立が激化すると、義昭に従い、行動するが、室町幕府が滅亡すると、信虎の身も危うくなる。この年、息子・信玄が病死、翌年、信虎は高遠城で初めて孫の勝頼と対面する。しかし、勝頼に警戒され、甲府への帰還は許されなかった。信虎は最晩年をいかにして過ごしたのか?そして、今日の評価とは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
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