音楽

ヒット曲にかける作家たちの情熱【作詩家なかにし礼とグッド・バイ・マイ・ラブ】🈑

昭和歌謡のヒット曲。作家たちはどんな情熱をもって作ったのか?今回は作詩家のなかにし礼。「グッド・バイ・マイ・ラブ」は巨額の借金を抱えたなかでの曲であった。。。

9月22日 日曜 20:24 -20:54 BSテレ東

様々な音楽の要素が融合し花開いた“昭和歌謡”。その裏には歌謡曲に情熱を傾けた個性あふれる作家たちがいた。名曲誕生に秘められた作家たちの苦悩と情熱。 日本歌謡史に残る名曲の誕生秘話と作家たちの知られざる人生を紹介する。 取り上げるのは、アン・ルイスのヒット曲「グッド・バイ・マイ・ラブ」と、それを手掛けた作詩家、なかにし礼
数え切れないヒット曲で昭和歌謡の黄金期を築いた、作詩家、なかにし礼だが、そのヒット曲「グッド・バイ・マイ・ラブ」誕生の裏には、なかにし礼、人生最大の危機があった。作詩家としてデビューして4年、2度の日本レコード大賞を受賞し、まさに破竹の勢い。そんな中、なかにしは一人の少女と出会う。その少女が、アン・ルイスだった!
彼女を自らプロデュースし、デビューさせたなかにしだったが、自身で設立した「なかにし商会」が兄の事業の失敗で解散することに…。 巨額の借金を背負いながらの作詩活動。アン・ルイスの6枚目のシングルは、少女の切ない愛の別れをしたためた「グッド・バイ・マイ・ラブ」であった。この曲は、アン・ルイスを一気にスターダムに押し上げた。
そして、「グッド・バイ・マイ・ラブ」は、日本だけに留まらず、アジアでもヒットを飛ばす。きっかけは、アジアの歌姫、テレサ・テン。「グッド・バイ・マイ・ラブ」を歌うテレサ・テンの貴重映像は必見!! マルチな才能で多くの人を魅了した、なかにし礼。その裏には、満州からの壮絶な引き揚げ体験や借金を生み続ける兄の存在もあったのだ。
そんな、彼の人生と「グッド・バイ・マイ・ラブ」誕生秘話を解き明かす。