ドキュメンタリー/教養

偉人・敗北からの教訓 第52回「聖徳太子・アジアの超大国との外交交渉」

日本古代史の英雄・聖徳太子の敗北を紐解く。アジアの大国・隋から最新の文化や技術を学ぶべく遣隋使を派遣。国書のやりとりによる外交交渉の中で喫した屈辱的な敗北とは?

7月13日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン

偉人・敗北からの教訓 第52回「聖徳太子・アジアの超大国との外交交渉」

紙幣の肖像に史上最多の7回採用された聖徳太子の敗北から明日を生きるための教訓を探る。幼い頃から聡明だった聖徳太子は叔母である推古天皇の摂政として国政に参加。冠位十二階を導入し、身分ではなく能力での出世を可能にすると、さらに憲法十七条を制定し、官僚や豪族に対する行動規範を明示した。国家の安定と平和を望んだ聖徳太子は当時の最新文化であった仏教の普及に尽力し、法隆寺をはじめ、多くの寺院を建立した。
聖徳太子は外交も重視し、アジアの大国・隋に使節を送り、良好な関係を築こうとした。しかし、隋の皇帝は送られた国書に綴られた「日出ずる国の天子…」から始まる一文を一読するや否や激怒してしまう。さらに隋の皇帝が送った返書をめぐり、大騒動が巻き起こる。それは聖徳太子のみならず、日本という国家の敗北であった。最新研究により、明らかになりつつある古代日本の姿。大国・隋との外交交渉の裏に隠された真実とは?
聖徳太子が派遣した遣隋使により、東アジアにおける日本の地位は向上し、また、日本の政治のあり方も大きく変わった。聖徳太子の信念は1400年の時を越え、今日の日本にも受け継がれているという。果たして、その精神とは?用明天皇の子として生まれながら、天皇として即位することはなく、622年にこの世を去った聖徳太子。もし、聖徳太子が天皇になっていたら、日本の歴史はどんな展開を見せていたのか?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。