巣鴨日記 あるBC級戦犯の生涯

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ドキュメンタリー「解放区」🈑巣鴨日記 あるBC級戦犯の生涯

1946年、陸軍主計中尉だった冬至堅太郎。8月30日池袋にあったスガモプリズンに収監された堅太郎は、その日から日記をつけ始める。あるBC級戦犯の生涯の記録。

11月18日 月曜 1:28 -2:28 TBS1

福岡市の博多商人の家に生まれた冬至堅太郎は、終戦の年、陸軍主計中尉として西部軍にいた。 6月19日、福岡市の中心部を焼き尽くした福岡大空襲で、堅太郎は母を失う。翌日、母の棺を作るために西部軍司令部の大工小屋にいたところ、司令部の敷地内で、九州内で墜落したB29爆撃機の搭乗員たちが処刑されているのに気づいた。「自分はその役に最もふさわしい」と自ら志願した堅太郎は、軍刀を借りて米兵を斬首した。
あわせて4人を手にかけた堅太郎は、戦後、BC級戦犯として米軍に捕らえられる。 1946年8月30日、東京・池袋にあったスガモプリズンに収監された堅太郎は、その日から日記をつけ始める。死刑を覚悟していた堅太郎は、自分自身をみつめ、殺害した米兵にも家族がいたはずという妻の言葉を重く受け止める。2年後、横浜軍事法廷で堅太郎に宣告されたのは絞首刑だった。 多くを語られてこなかった、あるBC級戦犯の生涯。