偉人・敗北からの教訓

ドキュメンタリー/教養

偉人・敗北からの教訓「織田家の内紛・信長と信勝の家督争いと柴田勝家の決断」

織田信長の父・織田信秀の死後に勃発した熾烈な家督争い、織田家の内紛を紐解く!信長の弟・織田信勝に仕えた柴田勝家はなぜ、信勝を見限り、信長の支持に回ったのか?

4月4日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン

偉人・敗北からの教訓「織田家の内紛・信長と信勝の家督争いと柴田勝家の決断」

織田信長が若き日に弟・織田信勝と家督を巡って争った織田家の内紛から明日を生きるための教訓を探る! 信長が生まれた織田弾正忠家は尾張の守護代・清州織田家の一家臣に過ぎなかったが、信長の父・織田信秀の時代に勢力を拡大!信秀は息子の信長に林秀貞や平手政秀、信長の弟・信勝に柴田勝家ら有力家臣を付け、二人を後継者候補とし、病死してしまう。その結果、織田家は兄弟間で熾烈な家督争いが展開されることに!
信長が家中で「うつけ者」として疎まれる中、信長の傅役・政秀が切腹、家老の秀貞が信勝の支持に回る。さらに信長の舅となった美濃の斎藤道三が長良川の戦いで戦死すると、勝家ら信勝派が打倒信長を目論み、1556年、稲生の戦いが勃発。しかし、兵力に勝りながら、まさかの敗退!信勝は助命されるが、2年後、なんと謀叛を計画。それを勝家が信長に密告したことで信勝は暗殺されてしまう! 勝家はなぜ、信勝を見限ったのか?
1568年、信長の上洛戦を機に勝家はその真価を発揮。自ら先陣を切り、勇んで戦場を駆け回る姿は後に「かかれ柴田」と称される。1575年、勝家は越前一向一揆の平定に力を尽くし、北ノ庄城を与えられると、その後、織田家の筆頭家老に上り詰める。そして、多士済々の織田家臣団を率い、主君・信長のさらなる勢力拡大を実現すべく、突き進んでいく! 織田家の内紛から学ぶ教訓は…「矢面に立たないトップは駆逐される」!
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。

過去の放送をTVerで視聴