ザ・偉人伝
ドキュメンタリー/教養
🈑ザ・偉人伝 美空ひばり・島倉千代子〜怒濤の昭和歌謡史を生きて〜
天才少女と呼ばれた美空ひばり。大けがと大病を、ひばりの歌に救われた島倉千代子。怒涛の歌謡史を生きた二人の軌跡を、昭和のヒット曲を織り交ぜながらお届けする。
3月31日 月曜 19:00 -20:54 BS朝日1
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幼い頃から類まれな歌唱力を発揮したひばり。可能性を感じた母は、慰問活動、のど自慢出場、前座歌手としての地方巡業などさまざまな経験を積ませる。11歳でデビューした翌年、映画「悲しき口笛」で主演、主題歌も大ヒットし、国民的スターへ。しかし歌手生命を脅かす危機も。1986年、重度の慢性肝炎、両側特発性大腿骨頭壊死症の病魔が襲う。東京ドームのコンサートを満身創痍で大成功させ、終了後、救急車で会場を後にする。
島倉は7才のとき、疎開先の長野県松本市で負傷し、左腕が不自由に。暗い影に覆われ、友達がいなかった島倉はひばりの歌に出合い、光を得る。16歳で「この世の花」でデビュー。半年で200万枚を売り上げる。1957年、「東京だョおっ母さん」が大ヒット、紅白歌合戦に初出場。順風満帆な歌手人生を歩み始めたが、ファンの投げたテープが当たって失明の危機に。その後も離婚、借金などの苦労の中で、名曲「人生いろいろ」が誕生する。
平成元年、ひばりは「川の流れのように」を発表。が、体調は戻らず52歳で逝去。駆け付けた島倉は3日間、ひばりのそばから離れなかった。2013年、島倉は肝臓がんと闘いながら命がけで新曲を吹き込み、その3日後、ひばりのもとへと旅立つ。
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